2016年08月31日

日本を治めた女性たち + 王朝(女房)文学

明治18年(1884)、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任して以来、今年で132年を迎えますが、いまだに女性の総理大臣は一人も誕生していません。それ以前でも、鎌倉、室町、戦国を経て江戸時代に至るまで、武家政権では女性が政治にかかわることはほとんどありませんでした。文化の面でも女性の活躍はごく限られていましたね。

もちろん、北条政子(鎌倉)、日野富子(室町)など、政治上において良くも、悪くも大きな影響力を振るった女性はいましたが、自らが将軍など表立った地位に就いていたわけではありません。

むしろ古代のほうが、女性の活躍は目立っていたように思います。そもそも神話に現れる天照大神(あまてらすおおみかみ)が女神ですものね。太陽神にして、皇祖神。でも、乱暴で手におえない弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)との確執とか、闘争とか、なんか俗っぽくておもしろいので、純粋な神話というよりも、ある種の実話を神話化したのではないか、とも思ってしまいます。 

そして、邪馬台国の女王・卑弥呼。
この女王の存在が知れ渡ったのは、中国の歴史書『三国志』内に「魏志倭人伝」が書かれていたから。時は三国時代で、魏が呉、蜀を制して統一国家を確立した三世紀のころ。日本では30ほどの小国が互いに争っていたのですが、女王を立てたところ、ようやく戦乱が収まったとか。(「倭人伝」の詳しい内容については、知っている方も多いと思うので、省略します)

邪馬台国はどこにあったのか、は、その古墳の在所とともに、現在でも論争の的になっていますよね。まさに、古代史の壮大なロマンでしょうか。

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箸墓(はしのはか 奈良県桜井市) 卑弥呼の墓?

古代の女王は卑弥呼ひとりにあらず。卑弥呼が没したあと、男王が後を継ぎましたが、国は治まらず、再び戦乱の世に戻ってしまいました。そこで、壱与(いよ)という13歳の少女を女王としたら、倭国は再び統一されたということです。

古代では皇后、女帝も活躍しましたね。
まず、神功皇后(じんぐう 仲哀天皇の后)ですが、4世紀ごろでしょうか。神託に導かれ、男装して軍を指揮して朝鮮半島にわたった、いわゆる『三韓出兵』の伝承で知られています。新羅王は大挙してやってきた日本の軍船に恐れおののき、一戦も交えずに降伏、高麗、百済も降参したとか。

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神功皇后像

息子が応神天皇として即位するまでの69年間、摂政(天皇の代行)を務め、100歳で没したとされています。どこまでが史実か疑問視もされていますが、中世以降よりも女性が活躍できる時代ではあったようで、完全な虚構とするのもどうなのでしょう。なんらかの実話は散りばめられているとも思えます。

次は持統天皇(645〜702)。
天智天皇の二女で、夫は天武天皇。夫の死後、ただ一人の息子である草壁皇太子を皇位につけようとしますが、彼は病で急死してしまいます。その時、孫の軽皇子はまだ14歳で、ライバルの他の皇子に皇位をわたさないため、690年、自ら即位し、政治の実権を握ります。翌年、新都、藤原宮を造営し、完成した大極殿に立ってうたった歌が、

 春すぎて 夏来るらし白妙の 衣ほしたり天の香具山

で、大いなる女帝の香気と貫禄が窺われますよね。

軽皇子が即位(文武天皇)すると、太政天皇として若い天皇を後見し、58歳で没しました。それ以前にも女性が即位していますが、推古天皇(女性初の天皇)は実力者(蘇我馬子)の思惑で、皇極・斉明天皇(同一人物で二度即位)は男帝(息子の中大兄皇子)のつなぎとして即位したにすぎず、実権は握っていませんでした。


平安時代は、政治よりも文化の面で女性の才能が開花した時代です。小野小町(歌人)、清少納言(代表作「枕草子」)、紫式部(代表作「源氏物語」)、和泉式部(歌人)など、華やかな王朝文学が生まれたのは、日本独特の現象なのでしょうか。今でも、そうした女流文学に触れられるのは、大変幸運なことなのかもしれませんね。

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「源氏物語」源氏と夕顔


鎌倉時代で傑出した女性といったら、なんといっても尼将軍と呼ばれた北条政子(1157〜1225)でしょう。頼朝との恋の経緯をみても、非常に情熱的で、勝気な女性だったことがわかります。頼朝亡きあと、東国の武者たちを束ねて京都の朝廷と戦闘を交えて勝利したのも、彼女のリーダーシップの賜物だったでしょう。揺籃期の鎌倉幕府の屋台骨を支えた、まさしく女傑でしたね。

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北条政子像

でも、母として、彼女は幸せだったでしょうか。息子である二代将軍頼家、三代将軍実朝ともに暗殺され、しかも暗殺者が身内であったという事実。実家の北条家は守り抜いても、実の子たちと孫(公暁。頼家の子で実朝の暗殺者。自らも殺害される)は助けることができませんでした。

何かを成し遂げるためには、何かを犠牲にしなければならなかった、ということなのでしょうか。現実は厳しいものですね。

室町時代悪女として名高い日野富子(八代将軍足利義政夫人)がいます。実子義尚(よしひさ)を将軍にするため、応仁の乱を引き起こし、社会を混乱させ、かつ利権政治で富を蓄積したことで評判が悪いようです。しかし、管領家や実力ある武家の権力争いが絡んでおり、女性ゆえに、富子だけが厳しく評価されてしまったのかもしれません。

なんか思ったより長くなってしまったので、戦国時代以降の女性の活躍については、またの機会に持ち越すことにいたします。とりあえず、今日はこれでおしまいね。

posted by orion at 23:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史